おばさん先生とおじさん先生の思い出「私の原点」

私は、記憶が確かなら小学校4年生ぐらいのころから6年までM町のお絵描き教室に通っていた。それは、自分から言い出したのか、親のススメだったのかまでは覚えていない。まあ、親のススメだろうなと思います。

生まれついての超がつくほどの人見知りで教室に通う事自体かなりビビってたはずです。そこでは、とく「こう描きましょうね」という指導は、なくて、今思うとあまりにフリーすぎてもうちょっとアカデミックというか、「上手に描く」ことへの近道を教えてもらっても良かったんじゃないの?という大人になってからの感想もある。

でも、そんな事以上に、私の一生の宝物をもらえた。

 

先生は「大木先生夫婦」で旦那さんはヒゲモジャだったので、「おじさん先生」で奥さんは「おばさん先生」と呼ばれていました。私もそう呼んでいました。教室は(一次的に違う場所をレンタルしたこともあるが)先生の自宅で子どもたちを集めて教えてくれました。

大木先生の下の名前を知ったのは、大人になってからです。ここでは、ふせますが。

基本的には、おじさん先生は、離れのアトリエで制作していたのかな?子どもたちへの指導は、主におばさん先生がしていました。おじさん先生は、どうも美大の先生 アーティストだったようです。当時は、ただの優しいおじさんという認識しかなかったですけど。

 

お庭が広くていろんな植物が植えてありました。猫が何匹か居ました。娘さんでNちゃんと呼ばれる大学生のお姉さんがいて、たまに出てくると子どもたちに囲まれてました。私もファンでした()。お手伝い(アルバイト)の先生もいましたが、基本的に「こう描きなさい」と言われた記憶は、ありません。ただただ、とても優しい大人たちでした。

 

おやつの時間になると、クッキーとかと紅茶が出てきました。子どもがかなりいたのでおやつの数は決まっていました。珈琲では、ないところが小学生らしいですね。レモンティーとミルクティーと選択肢もありました。他のお茶の時もあったかもしれません。

 

雨が降ると、竹やぶもあるような広いお庭は、静かになります。なにかのクラシックが流れていた気がします。ピアノ曲だったような。

そうそう、あの家ではカラスだったかフクロウだったかも飼っていたようです。

 

 

中学生になると部活があるので、必然的に卒業したけど今でも時々思い出します。あの時の絵の具の匂いとみんなの優しさ。夢中になれる事。

なにも教えてもらわなかったけれど全てを与えてもらった気がしています。

今、私が大人になって再び絵筆を握っているのは、あの大木教室があったからです。絵を描くことが楽しい幸せな事だと教えてくれた大人。

 

他人からしたら、なんてことない話かもしれませんが、私にとっては、かげかえのない思い出です。正直、今スマホで書いてるんですけどポロポロ泣いてます()

 

今は、お元気なのかもよくわからないのだけど数年前に出した手紙の返事では、おじさん先生は、少し歳のせいか体を壊しているとのことでした。

なんとなく、もう会う機会は、ないんだろうなって思ってしまっています。でももし会えたら、ただ「ありがとうございました」とだけ伝えたいです。

 

インターネットは、おろか メールすらしない仙人みたいな方たちなので気軽に連絡もとれませんし、、、。

 

正直、中学生に入ってから(私にとっては)地獄のような思春期を過ごしてきました。絵からも離れていました。そこから少し抜け出して、持病を抱えながらも再び絵筆を取りはじめました。

 

 

おばさん先生!おじさん先生!私は今でも描いてるよ!絵が好きだよ!