kNOB O'Hara(ノブ オハラ)

statement

私とって、かつて絵画は、治療行為でした。吐き出して楽になるための、言わば、マスターベーションだったのかもしれません。それが技法や理論を学び、社会への何かしらの「発信」になってきたと思います。アンチテーゼか、ジンテーゼか、あるいは両方か。
かつてより、よりダークでグロテスクな表現が増えましたが、それは昔のものとは違い、外社会(地球全体)との関わりも意識した世界市民の中の異端児として、立っているのです。
私の絵には、子どもがたくさん登場します。それは犯罪の低年齢化=子どもが被害者である事が増えた、あるいは、すでに そうであった事に由来します。戦争の被害、飢餓や虐待の被害なども表しています。
また、自分が過ごしてきた幻影を投影しています。思春期の視野狭窄による希死念慮など。それが一番大きいと思います。
しかしそれを「私は辛かった」という独白で終わらせずに社会に動きを要求するアクションとして、やっています。
世界は理想郷には、なりません。戦争や虐待がゼロになる事は、1000年経ってもないでしょう。
でも今よりマシには、できると信じています。リアリスティックな視点とドリーマーとしての目的意識を同時に持っていたいです。

ガンジー式では、もう世界は変えられない。でも何か方法があるはずだ。bestが無理でも、betterなら可能だと信じているし、命を捧げる価値があると信じています。
世界で1人でもいいから泣いていた人が笑えるようになれば、私の生まれた意味が生まれる。

神奈川県在住のArtist(painter)という名の年齢性別も解らぬ身元不明者

絵を描いてる人(時々、個展やグループ展に出してます)





biography


埼玉県生まれ。

保育園に入るもしばらくは「場面緘黙」になり、保育園にいくと人形のように動かなくなり、まともにコミュニケーションもとれなかった。保育士さんたちの努力で改善した。

小学生のころ隣町の絵画教室に通うことになった。自分から希望したのか、親に進められたのか記憶がない。そこに中学生になるまで通ったが特にアカデミックな指導は受けなかった。だが描くのが楽しい事を知る。ゴッホのタッチを真似ていたことがあった。大木先生がとてもやさしくて、教室全体が暖かく一生の思い出となる。

中学校に入るも美術部には入らず、あまり絵も描かなくなる。友達も少なかったので図書館でムンクや印象派、象徴主義、ロマン主義、ラフェエロ前派、北方ルネサンスなどの画集を見まくった。

このころから学校に行くのがものすごく苦痛になる。卒業証書と教科書は卒業式の日に破り捨てた。

高校に入ったが友達と会話することができなくなり、一年をまたずに中退した。最終学歴が中卒となったがそれすら証明書がない状況。

長い引きこもり生活が始まる。友達ゼロになり孤独感で生き地獄と感じた。

アルバイトをはじめてもすぐにやめて引きこもるのを繰り返しつつお金をためて風呂なしアパートに住む。親元を離れてはじめて精神科に通い鬱病と診断される。薬で楽になれると思ったがなおらずアルコール中毒になり親元に帰る。親に精神病であることを打ち明ける。

ファンだったミュージシャン、マリリン・マンソンが水彩画を描いているのを知り、水彩画に興味を持つ。お金がなくて最初は絵の具4つしか買えなかった。水彩画の大久保佳代子教室に一年ほど通い学んだ。

またお金をためて神奈川に引っ越す。そこで仕事の合間に絵を描いて個展を開くようになる。

現在も病気は治っておらず戦いながら活動している。

最初は治療のために描いていた部分があったが、今は社会的メッセージもこめている。いつか人のためになる人間になりたい。健康になりたい。注意力散漫なので車はおろか、自転車にも乗れなくなった。

家族と、大木先生がいたから今の私がいる。あの頃もらった優しさが私をつなぎとめている。


デカダンス的なもの、象徴主義など19世紀の画家や、その周辺の画家に影響をうけた。近年ではGottfried Helnwein(自然主義としてのハイパー リアリズムに関しては全く関心がない)と石田徹也に影響を受けた。



展示履歴
2015 11月 高円寺 ギャラリー来舎(個展)

2016 1月 銀座 gallery art point(グループ展)


2016 3月 六本木 新国立美術館(グループ展)

2016 8月 原宿 DesignFestaGallery(個展)

2017 11月 原宿 DesignFestaGallery(個展)

2018  6月  信濃町 The Artcomplex Center of Tokyo(グループ展)